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グロリエッテ

1998-07

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グロリエッテは1757年の対プロイセン戦勝記念としてシェーンブルン庭園に建てられた。

オーストリア継承戦争の結果、ハプスブルク領であったシュレジエンはプロイセンに帰属した。オーストリアのマリア・テレジアはシュレジエン奪回を目指し、1756年フランス(ポンパドゥール婦人)、ロシア(エリザヴェータ女帝)とペチコート同盟を結ぶ。オーストリアの開戦意図を察知したプロイセンのフリードリヒ2世(大王)は1756年先制攻撃にでた(七年戦争開戦)。プロイセンは準備不足のオーストリアを次々と撃破する。そんななか、1757年6月18日コリンの戦いではじめてオーストリアはプロイセンに勝利した。この勝利を祝い、また戦没者の霊を慰める目的でグロリエッテは建造された。当初、宮殿を建てる予定であったが、ここでも経済的事情によりコロネード(列柱回廊)の建設にとどまった。何が何でも記念になるものを建てたかったんやろね。やっぱし、”はじめての勝利”ってのは女傑マリア・テレジアにとってとても嬉しい出来事だったに違いない。

テーマ : 海外旅行
ジャンル : 旅行

マーチャーシュ教会

1998-07

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正式名は「聖処女マリア教会」という。
ハンガリー王マーチャーシュ・コルヴィヌス(マーチャーシュ1世)が教会を増築し、2度の結婚式を挙げたことから、後世マーチャーシュ教会と呼ばれるようになった。
歴代のハンガリー王はこの教会で戴冠式を執り行ったという。
そう、マリア・テレジアも、そして、フランツ・ヨーゼフ1世も。
フランツ・ヨーゼフ1世の后エリーザベト(シシィ)はハンガリーをこよなく愛した。戴冠式のときにもハンガリーの民族衣装を着たらしい。美しいエリーザベトはどんなドレスを着たのだろう。ハンガリーは刺繍で有名やけど、刺繍があしらってあったのかな?

この教会の歴史は波乱に富んでいる。
1255年にべーラ4世の命でゴシック様式で建立されたが、1541年ブダがオスマン帝国に占領されると教会はモスクに改装され、フレスコ画は壁に塗り込められた。
1686年にオスマン帝国が撤退するとカトリック教会に戻され、18世紀のオーストリア=ハンガリー帝国の時代にはバロック様式で修復された。
1874年の改築でゴシック様式に復元され現在に至っている。
ヨーロッパの歴史に宗教が欠かせないことの象徴のように感じる。

テーマ : 海外旅行
ジャンル : 旅行

かつら

1998-07

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写真は1998年にウイーンを旅してて、楽友協会のオニイチャンに ”モーツァルトのコンサートに来ませんか” と誘われたときのもの。
旅してたのは7月やから、お気軽なコンサート・ツアー。 みいは写真のとおりのジーパン姿やったから、 ”ホテルに帰ってドレスに着替えないと・・・” って言うたら、 ”観光客やしそのままでもいいよ” な〜んて言うてくれるくらいかる〜い感じ。(でも、着替えましたけどね)
このオニイチャンのモーツアルト時代の衣装とかつらはお客様サービスなんです。楽友協会のメンバーは皆こういう衣装をつけてるんです。うふふ、楽しいね〜♪

ヨーロッパのかつらは16世紀のルネッサンスの頃からあったようですが、フランス国王のルイ13世の若ハゲ隠しのために広まったそうです。
ルイ13世はわずか8歳で国王に即位し、18歳でてっぺんハゲ、22歳でつるっぱげになってしまったらしい。
まあ、人生50年の時代の頃の話かな。

国王陛下がこの状態やから、宮廷内では国王にワルイと思い、皆かつらをつけるようになったとか。
この時代はあんまりお風呂に入らないから毛ジラミ対策という話もあるけど、どっちもありそうな話です。


楽友協会は1812年に設立され、フランツ・ヨーゼフ1世(皇妃エリーザベトの夫)の援助を受けて現在の建物が建てられたそうです。立派なホールでしたよ。

テーマ : 海外旅行
ジャンル : 旅行

苔の洞門

2009-08-11
支笏洞爺国立公園の支笏湖の南側に「苔の洞門」と呼ばれる景勝地がある。
樽前山噴火時の溶岩が風化と浸食で出来た小さな渓谷が一面苔で覆われ、とても綺麗ならしい。
平成13年に岩盤が崩落して以来、立ち入り禁止となり、今は展望台から入り口付近をわずかに見れるのみである。

画像 032-s えっ、これ?!

あまりにも苔のないことに驚いた。
こりゃあ、保存せにゃならんよな・・・などと妙に納得する。

画像 033-s 展望台へ行く途中の景色

コレを見て、ビロード状と称される「苔の洞門」を想像した。



さて後日、私たちが訪れるホンの3日前に行われたモニターツアーの記事を見つけた。

なんと、美しい!!

一観光客として見たい反面、是非とも守って欲しいと思ったのでした。










テーマ : 北海道旅行
ジャンル : 旅行

シシィ

1998-07
ハプスブルク家の有名な女性といえば、マリア・テレジア、マリー・アントワネット、そして、皇妃エリーザベト(愛称シシィ)。

シシィはオーストリア帝国の最後から2番目の、実質的には「最後の」皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の皇后。フルネームはエリーザベト・アマーリエ・オイゲニーという。

052-s.jpg

シシィの肖像画が載ってるこのCDは1998年にウイーンで買ったもの。当時160シリング(値段のシールがまだついてた!)だから1,500円くらいのもの。こんないびつな形のCDがかけられるのか心配やったけど、つい買ってしまった。

中身はヨハン・シュトラウスのウインナー・ワルツやポルカの短いバージョンが入ってる。ほとんどがヨハン・シュトラウス2世(ワルツ王)の曲だが、ヨハン・シュトラウス1世(ワルツの父)のラデッキー行進曲も入っていた。

ウインナー・ワルツはヨハン・シュトラウス2世が、1866年の普墺戦争でオーストリア・ハンガリー軍が敗北し、ハプスブルク帝国が衰退していくなかで、失望したウイーン市民を慰めるために作曲した明るいワルツである。

シシィは当時の皇后やったわけやけど、ちょうど時代は帝国が衰退し、音楽は宮廷の舞踏会から市民社会に派及していく。音楽家の支援者は皇帝・皇族→貴族→市民へと変遷していく。

CDを買ったときは、シシィがウインナー・ワルツを軽やかに踊る姿を想像していたのだが、ウインナー・ワルツの起源は男女がペアになって抱き合ってくるくる回りながら踊るもので、宮廷や貴族のものではなく、同じ3拍子でも、メヌエットが宮廷音楽であったらしい。

コレを知ってしまうと、私は旅行中の気の大きさも手伝って、皇妃=ワルツのイメージでまんまと買わされてしまったクチかもしれないが、何かシシィのモノを買いたかったので、まぁいいか。



テーマ : 海外旅行
ジャンル : 旅行

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